しんめいしゃかんのんどう
室町末期に八郎潟東岸に建立され、江戸時代に現在地に移ったといわれている。現在の観音堂は享保19(1734)年に再建されたもので、昭和5(1930)年に本殿が新築されるまでは、観音堂が本殿であった。本殿新築に伴い移設修復された際、屋根裏から白狐のミイラが発見され、堂内に保存されている。総ケヤキの入母屋造りで、唐破風を付けた一間社流造り。随所にみごとな彫刻がほどこされている。厨子、板碑とともに国指定重要文化財に指定されている。