旧黒沢家住宅
きゅうくろさわけじゅうたく
秋田藩上級武士黒沢氏(知行高500石余)が藩政後期の文政12(1829)年頃から居住していた中通三丁目にあった母屋・表門・土蔵・木小屋・氏神堂などを一括この地に移築、復元したもの。平成元(1989)年に国の重要文化財となる。この住宅は当時の上級武士の屋敷が丸ごと残っており全国的にも貴重。建物の中で最も古い部分は17世紀末にさかのぼる。黒沢氏は戦国期横手小野寺氏の重臣で山内黒沢城主であった佐竹入部後地元の武士として採用され家老渋江内膳政光に協力して先竿・中竿の検地に参加。その後院内銀山奉行となり大阪冬の陣の今福合戦の武功で二代将軍秀忠から感状を与えられた。子孫は裏判奉行、郡奉行、寺社奉行などを務めるなど常に藩の重臣として活躍した。