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北浦一揆
きたうらいっき
天保5(1834)年仙北郡で起こった藩政期最大の一揆。同年1月、長野役屋に近隣40数カ村から数千人の農民が押しかけ、飯米の支給や借上米の停止などの要求をした(前北浦一揆)。原因は藩による阿仁銅山用の米の確保にあり、担当役人の交代で当初の話より厳しい条件で強制しようとしたことに怒ったものだった。続く2月には西長野村の農民を先頭に、やはり数千人が集まり、各地の肝煎(きもいり)宅を襲った(奥北浦一揆)。この一揆では、藩の政策に反発する極めて政治的な要求がなされ、一揆後、藩主義厚(よしひろ)自らが人心を鎮めるために仙北地方を巡回するなど、藩が受けた衝撃は大きかった。