花岡事件
はなおかじけん
昭和20(1945)年6月30日の夜に花岡町(現大館市)の花岡鉱山に強制連行されていた中国人労働者らが指導員5人を殺害し、800人余りが周辺に逃走。山狩りを行い事件が一応収拾されるまで、1週間余りかかった事件のこと。逃走者のほとんどが逮捕され拷問の末、およそ113人が死亡したとされている。事件の背景には鹿島組による花岡川、大森川の改修工事の際の重労働、食糧不足、虐待などで140人余りが死亡し、約50人余りが重病になるなどの不当な扱いがあったとされる。
戦時中三度にわたる強制連行で花岡鉱業所に連れてこられた中国人986人の内、418人が重労働やこの事件で死亡し、生存者の多くは同年11月に中国に帰国した。後年、事件発生の地となった中山寮の近くに「日中不再戦友好碑」が、拷問が行われた共楽館の一角に追悼像が建立された。今でも生存者を招き慰霊の行事がとり行われている。
(写真は昭和38〈1963〉年、花岡十瀬野公園墓地に建てられた最初の慰霊碑「中国殉難烈士慰霊之碑」)