秋田の基礎知識

秋田自由党

あきたじゆうとう

板垣退助の自由党と連携をとった県内政党。秋田事件で衰退した秋田立志会を母体とし、明治15(1882)年半ばころ組織された。立志会の地盤を受けつぎ、党員の多くは下層農民や没落士族であった。明治17(1884)年には党員数400人を超え、全国の自由党の中でも有数の規模を誇った。