秋田の基礎知識

阿仁銅山

あにどうざん

阿仁鉱山は佐竹氏入部以前からの金山、また院内につぐ銀山としても知られたが、17世紀末には衰退していた。銅山として寛文10(1670)年に開発が始まった。正徳5(1715)年には幕府によって長崎手当山に指定されるほど、銅産出では全国でも最も重要な鉱山のひとつだった。ただし銅の価格が低く抑えられていたため経営は楽ではなく、商人に開発を任せる請山(うけやま)と直接支配する直山(じきやま)を何度か繰り返し、最終的には山師の大坂屋に銅山経営をゆだねることになった。