秋田の基礎知識

院内銀山

いんないぎんざん

院内銀山

秋田藩初期の財政を支えた重要な鉱山。慶長11(1606)年に銀鉱脈が村山宗兵衛・森治郎左衛門・渡辺勝右衛門・石山伝助の4名によって発見されると、たちまち各国から山師など鉱山技術者・労働者が集まり、院内は藩内最大の町となった。院内銀山は藩が山奉行を置いて直接支配する直山(じきやま)であった。奉行配下の諸役人支配の下、山師らが経営した。藩は幕府へ運上銀を納めたが、この地での採鉱や商工業への課税と、米や精錬用鉛の専売などで莫大な利益を得られた。しかし銀の産出は10年ももたずに減少し、以後衰退の道をたどった。