あきたかいしんとう
立憲君主制・改良主義を主張した自由民権政党。明治15(1882)年6月、前朝野新聞記者の大久保鉄作、真契社の成田直衛、秋田政談会の鈴木喜一などが結成した。党員に県議が多く、県民負担軽減に努力した。また機関紙として「秋田日報」を発行し、主幹に犬養毅を招くなどした。しかし同紙はたびたび発行停止処分を受け、明治17(1884)年7月に休刊、内部対立もあって活動休止状態となった。