あんどうしょうえき
元禄16~宝暦12(1703~62)年。大館市出身の思想家。八戸(青森県)で町医者を営んだ後、大館に居住。役人や農民などの多くの門弟を抱え、身分制度や宗教を批判し、農耕を基本に据えた社会主義的な思想を説いた。死後門弟たちは昌益を「守農太神」としてあがめ、碑を建立し、社寺と対立して藩の処分を受けた。おもな著作に『自然真営道』など。温泉寺に墓がある。