あきたさねすえ
天正4~万治2(1576~1659)年。佐竹氏入部まで秋田に勢力をふるった戦国大名。 父・愛季の死により12歳で檜山安東家を継ぐ。湊合戦に勝利して湊安東家を併合し、本拠を湊城に移した。 秋田・豊島・檜山・比内を支配し出羽最大の大名として秀吉から5万2400石余りを賜る。 関ヶ原の戦後、常陸(茨城県)宍戸5万石を与えられ、国替え後は秋田氏を名乗った。 一族の不和が幕府の機嫌を損ね、伊勢国(三重県)朝熊に流され同地で没した。