秋田の基礎知識

南部領

なんぶりょう

鹿角郡は南部氏10万石の領地の一部であった。村数は67ヵ村(花輪通22ヵ村、毛馬内通45ヵ村)。『秋田県史』によると郡内の総石高は享保2(1717)年1万8358石、安永9(1780)年1万9449石、幕末の安政4(1857)年2万778石とある。支配形態は花輪城に中野氏が城代に、毛馬内城に毛馬内氏が、後には桜庭氏が城代として入り、大湯城には北氏が入り、これら三氏の城代が隣領秋田藩との鉱山をめぐる境界争論や津軽藩との境の警固にあたっていた。南部氏領も秋田藩と同様に地方知行が採用されていたので、鹿角地方には南部氏の直臣家臣団と三城代が抱えている陪臣家臣団が存在していた。例えば毛馬内城代の桜庭氏の陪臣家臣は30石以上の者7人を筆頭に合計88人であった。米年貢の税率は33%~21%余りと低率であったが、雑種の課税(クルミ、麻糸、山のいも、タケノコ等)の多様さに特色が見られる。