秋田の基礎知識

仁賀保領

にかほりょう

元和9(1623)年10月、仁賀保氏は常陸国武田5000石から戦国時代に住んでいた故郷の仁賀保地域に1万石の大名として帰ってきた。居城は由利城(塩越城とも言う)。領地は旧仁賀保町の大半と金浦町、象潟町のすべてで合計42ヵ村。初代藩主の仁賀保挙誠(にかほきよしげ)は入部の翌年寛永元(1624)年2月に死去し、その遺領の相続は挙誠の遺志に従い長男に7000石、次男に2000石、三男に1000石と分知され、それぞれが幕府の旗本となった。その後、長男蔵人良俊が後継がないまま寛永8(1631)年死去したため7000石は幕府領となり、隣領譜代大名庄内藩酒井氏の預地となった。結局、この年以降仁賀保氏領は2家合わせて3000石に減少した。