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生駒領
いこまりょう
寛永17(1640)年7月、讃岐国(現香川県)の高松城主生駒高俊は17万石から、由利矢島に家臣間の対立事件である生駒騒動の責任を問われ配流となり、賄料1万石を与えられた。当初の領地は寛永8(1631)年に病没し改易となった旧仁賀保7000石領と、同じく同11(1634)年後継なしで改易となった旧打越光久領(矢島・鳥海地域)3000石であった。しかし、改易が言い渡されてから4日後に生駒氏領の内海岸部の金浦・仁賀保地域の一部4639石余りが六郷氏領となり、かわりにこれまで六郷氏領であった東由利地域の同額石高の村々が生駒氏領となる所領交換が行われた。その結果、生駒氏領は矢島・鳥海地域、仁賀保地域(旧象潟上郷地域の一部)、東由利地域、そして仙北大沢地域と4つの地域によって構成された。なお、天保2(1831)年からの幕府による生駒氏領、岩城氏領、佐竹氏領、そして幕府領を巻き込んだ一連の領地替えで旧象潟町の上浜、上郷地域10ヵ村が新たに生駒氏領となるかわり、仙北大沢郷の宿村らが佐竹氏領となった。