ぜんくねんがっせん
永承6~康平5(1051~62)年、陸奥国奥六郡(岩手県北上川流域)を支配した豪族安倍氏を陸奥守兼鎮守府将軍の源頼義らが滅ぼした戦乱。 安倍氏に大敗を喫した頼義は、出羽山北(横手・平鹿・仙北)の俘囚の長清原氏に助けを求め、清原武則を総大将とする1万の援軍を得てやっと勝利することができた。 この戦いの後、清原武則は鎮守府将軍に任じられ、奥羽最大の勢力を持つにいたった。