秋田城跡
あきたじょうあと
奈良~平安時代、出羽国秋田(現秋田市高清水公園内)に置かれた軍事・行政拠点。 天平宝字4(760)年に初めて「阿支太城」の名が登場し、この頃に前身の出羽柵から改称されたらしい。 秋田城には国府が置かれ、出羽北部の統治を行った。 また、渤海の使者を迎える迎賓館としての機能を持っていたと考えられる。 秋田城は蝦夷の反乱による放棄・停廃・占拠、また天長7(830)年の大地震による秋田城倒壊とともに四天王寺も壊滅し、地域における統治に影響を与えるなどの経過をたどりながら11世紀まで存続したが、前九年合戦以降衰退していったようである。 平成10(1998)年には外郭東門と築地塀が復元された。国指定史跡。