秋田の基礎知識

妙慶寺

みょうけいじ

妙慶寺

寛永6(1629)年、亀田藩藩主岩城宣隆(のぶたか)の後室・顕性院(真田幸村の娘、直<なお>、お田<でん>の方)が開創した。はじめ久保田(秋田市)にあり、二代重隆の代に亀田に移された。現在の堂宇は大正4(1915)年の再建。寺宝の甲冑は顕性院の遺品で、兜の鍬形には真田家の紋・六連銭がついている(県の有形文化財)。また妙慶寺は県の史跡にも指定されており、シーボルト事件で亀田藩の預人となった長崎大通詞(通訳)馬場為八郎の碑もある。なお、亀田藩主は初代が吉隆、二代が重隆(宣隆の子)というのが正式で、宣隆(多賀谷宣家)は番台として、亀田藩に入った。しかし地元では宣隆を藩主として扱っており、宣隆を二代藩主、または初代藩主とする場合もある。