ほくうれんごうかい
民権政社。東京で自由民権運動に触発された山本庄司(能代市生まれ)が、明治13(1880)年に秋田遐邇(かじ)新聞(秋田魁新報の前身)に「国会開設建議有志者団結案」を寄せ、これを契機に士族団体「親睦社」と結びついて2月に結成された。県内各地で遊説し国会開設を説いたが、その対象は各地の名望家であった。しかし同年4月に政府が集会条例を発したため活動が制限された。9月には秋田政談会と改称し、のちの秋田改進党へとつながった。