秋田の基礎知識

巳年のけかち(天保飢饉)

みどしのけかち(てんぽうききん)

藩政期の秋田では71回の凶作があったが、宝暦5(1755)年、天明3(1783)年、天保4(1833)が大凶作として記録されている。特に天保4年の飢饉は、巳年にあたるため秋田では「巳年のけかち(飢饉)」として、その悲惨な状況が各地に語り伝えられている。藩ではお救い小屋を作るなどして対策をとったが、飢えや疫病で多数の死者を出し、その数は10万人(当時の藩人口の25%)に達したとする説もある。