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幕府領
ばくふりょう
元和9(1623)年、本多正純の改易に伴い由利領には仁賀保挙誠1万石、六郷政乗2万石、岩城吉隆2万石、打越左近3000石の4領主が入部した。その折、仁賀保氏領の中に配分の端数158石余りが生じ、これが幕府領になった。この高がどこの村に該当するのか今もって不明である。その後、幕府領は仁賀保主馬の没(寛永5〈1628〉年)で700石が加わり858石となり、同8(1631)年に仁賀保7000石家の改易で7858石に増加。同11(1634)年打越氏改易で1万858石に、同14(1637)年本多正純没で1000石が加わり1万1858石となる。しかし、同17(1640)年、生駒高俊の入部で幕府領の中から1万石が生駒氏領となったことで、幕府領は1858石余(仁賀保地域の上浜、上郷10ヵ村)となった。その後、天保2(1831)年に幕府が行った出羽地域の領地替えで小砂川をのぞく他の村々は生駒氏領に編成替えとなった。その結果、江戸時代のほとんどを幕府領として存続しえたのは小砂川村のみであった。