あきたはん
慶長7~明治4(1602~1871)年、由利・鹿角を除く秋田県の大半を支配した藩。20万5800石余。佐竹義宣が初代、12代義堯が最後の藩主。秋田杉などの山林資源や銀・銅などの鉱物資源と新田開発で初期の藩財政は豊かだったが、資源の減少で財政難に苦しんだ。佐竹氏の居城は久保田城、藩校は九代義和(よしまさ)が設けた明徳館。